遺書についての覚え書き

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③の遺書


青雲の志、それは若者の大志の言い換えである。

(遺書本文はこちら)
明治以降多くの若者が夢と希望を抱いて田舎から都市へやってきた。
しかし、この青年はどうもタイミングが悪かったようだ。
1929年にニューヨークウォール街で発生した世界恐慌は日本にも1930年から31年にかけて影響を及ぼした。いわゆる昭和恐慌である。


この時期の農村においては、売られていく若い女性が多くおり、餓死するものもいたが、都市部でも主に肉体労働者たちの生活を脅かした。



1930年3月31日の読売新聞朝刊の記事によると、その前日に都内で発生した自殺、8件のうち6件が生活難が理由だという。
また、2体の溺死体を検死したところ、一週間以上も飯粒をくちにせぬ仕事にあぶれた労働者であることがわかったという。

続けて、警視庁管内で、食えぬ悩みから自殺するものは全体の約7割にも達しているとしている。


翌年の1931年7月16日の同紙朝刊においても厳しい経済状況が報じられている。
31年5月の失業者数は、40万人を超え一年前の5月と比べると2万3千人ほど増えたという。
この遺書が書かれたのは1931年8月だが、彼もこの膨大な失業者のなかの一人だったのだろう。


⑤の遺書について

記事の原文には
「新区域の繁雑な事務整理の激務から神経衰弱になり」とある。(遺書本文はこちら)
それを信じるならば現代でいうところの過労自殺に当たる。
同じように、激務が要因とされる自殺に関する記事は他にも見つけることができる。

1932年1月5日の読売新聞には、要約すると以下のような記事が載っている。

「激務のため満鉄社員の自殺」
満鉄社員は、時局以来睡眠時間さえもない。中国語の通訳をしていた32歳の男性は、極度の激務のため神経衰弱となり本日の夕刻、左頸動脈を切断し生命危篤に陥った。



どちらの記事も社会問題でなく小さな三面記事扱いである。「過労自殺」という言葉は見出しにも記事本文にも見出だせないので、まだ出来ていないと見える。
それも、そのはずで、


熊沢誠さんの「過労死・過労自殺の現代史」
(2018年)によると


p17
九〇年代に入るまで、 労働省(当時)にとって労働災害とは、職場の突発的な事故、または有害物質の取扱いとか特定の危険作業とかによる疾病や死亡のことであり、一定期間続いたシビアな労働負荷、蓄積された心身の疲弊がもたらす脳·心臓疾患や精神疾患は、労災行政の
視野の外におかれていた。
過労死·過労自殺を労災と認知させ、ひとつの社会問題として浮上させたのは、 労働行政でも、 労働の日常を凝視すべき労働組合でもなかった。それを担ったのはすぐれて遺族たちの無念の思いを受けとめた労働関係の弁護士たちであった。

とある。
過労自殺が社会問題として認知されたのはどうも戦後のことらしい。


そういえば、近代史の本では、都市部に住む役人や会社員はなど事務作業に従事する人々は新しく台頭する中流階級として描かれている。
労働問題についての記述を読んでも劣悪な労働環境課で働かされた犠牲者とされるのは炭鉱や紡績工場で働く肉体労働者たちだ。
労働争議についても彼らの具体的な要求として書かれているのは労働時間や賃金など具体的なもので心の健康についての記述は目にした記憶はない。
いや、あくまで私の貧しい読書経験に基づいた記憶ですが・・・ 少なくとも肉体労働者たちが直面した厳しい問題と比べてしまうと、 事務や通訳などの仕事に従事する人々の精神的疲労は目立つ問題じゃなかったのかも知れない。



例え肉体労働でなくとも長時間の緊張を強いられた人間が心身のバランスを崩し時として死を選ぶことはみな、経験則としては分かっていたが、社会問題として認識されるまで時間がかかった、ということだろう。


「過労死・過労自殺の現代史」
には、戦後に起こった過労死、過労自殺のケースがいくつか紹介されている。断片的なものではあるが、自殺者たちの遺書も引用されており、それを読んでいると、戦前の人が書いた遺書との類似点を見つけることができる。

p235~240で紹介されている、1993年3月に水自殺した造船会社社員の例である。
1969年に入社したベテランだったが過度の長時間労働により心身ともにバランスを崩した。
弁護士たちの調べによると死の直前6ヶ月の残業時間は月平均100から120時間だと言う。
その遺書には

「それにしても自分の処理能力のなさ」
「ああ、もうどうしたら…·。今のこの不安感ではもう生きていく気力がない」
「家族のことを考えるとひどいことをしていると思うが…すまん。がんばろうとしてもだめや!恨むなら俺と会社を恨め。ああ、残念無念」


と綴られていた。


過度の自己卑下という点では⑤の遺書と共通している。
ついでにいうならば、こうした無力感は④と⑦の遺書にも見てとることができる。
疲れ果て死を選んでしまう人間の心情は、時を越えて似るのであろうか。



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